この前、娘と美術館に行った。
美術館なので、普通なら見るものは作品である。
絵だったり、彫刻だったり、展示物だったり。
自分もそのつもりで行った。
入るまでは。
中に入って、最初に思った。
建物、すごいな。
その美術館は、コンクリートの打ちっぱなしだった。
しかも、ただ四角い壁が並んでいるような建物ではない。
形がかなり複雑だった。
壁の角度。
高さ。
大きな開口。
入り組んだ納まり。
普通に見れば、
「変わった建物だな」
くらいで終わるのかもしれない。
でも型枠大工をやっていると、そうはいかない。
見れば見るほど、
「これ、どうやって組んだんだ」
と思う。
一つ角を曲がる。
また難しそうな形が出てくる。
上を見る。
そこにも何かある。
少し進む。
まだある。
美術館なのに、自分の頭の中ではずっと施工中である。
完成した建物を見ながら、そこに型枠があった時のことを想像する。
ここはどうやって押さえたんだろう。
どこから組んだんだろう。
この角度でコンクリートを打つのは怖かっただろうな。
ここが動いたら大変だっただろうな。
そんなことばかり考えていた。
娘は作品を見ている。
自分は壁を見ている。
ちゃんと同じ美術館にいるのに、見ているものが少し違う。
特に打ちっぱなしは、型枠大工からすると怖い。
仕上げで隠れない。
型枠の割り付けも出る。
セパの位置も出る。
継ぎ目も出る。
少しのズレも残る。
完成した後だけ見れば、静かできれいな壁である。
でも、その静かな壁ができるまでには、かなり騒がしい時間があったはずだ。
たぶん途中で何度も、
「これ、どうする?」
という話になったと思う。
自分なら一回くらい、
「これ、本当にこの形じゃないとダメですかね」
と言っている気がする。
もちろん設計した人には聞こえないところで。
それくらい複雑だった。
だから途中から、展示されている作品を見るのと同じような感覚で建物を見ていた。
絵を見て、
「どうやってこれを描いたんだろう」
と思う。
彫刻を見て、
「どうやってこの形にしたんだろう」
と思う。
それと同じだった。
この壁を、どうやって作ったんだろう。
この角度を、どうやって出したんだろう。
この形を、どうやってコンクリートにしたんだろう。
そう考えているうちに、
建物も作品なんじゃないか、
と思った。
型枠そのものは最後にはなくなる。
コンクリートが固まれば外される。
誰かが美術館に来ても、型枠を見ることはできない。
でも、型枠で作った形は残っている。
美術館の中にある作品は、作った人の手が形として残っている。
それなら、この建物も同じなのかもしれない。
誰かが考えて、
誰かが悩んで、
誰かが手を動かして、
一つの形にした。
ただ違うのは、型枠大工の場合、完成した頃には自分たちが作ったものは外されているということくらいである。
少し損な役回りではある。
でも、その型枠がなければ、この形にはならない。
美術館に飾られている作品を見に来たはずなのに、
その作品を入れている建物そのものも、一つの大きな作品に見えてきた。
そして、それを作った人たちに本気で拍手したくなった。
型枠をやっているからこそ、少しだけ分かる。
これは大変だっただろうな、と。
その日は、
「すごい建物だったな」
と思いながら帰った。
そして翌日。
社長にその美術館の話をした。
「あそこの美術館、すごいよ」
打ちっぱなしで。
形も複雑で。
あれを作った人たちは相当大変だったはずだと。
かなり感心したと。
すると社長が、言った。
「あそこ、〇〇さんがやった現場だよ。」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
昨日まで、
「これを作った人たちに拍手したい」
と思っていた。
その人が、普通に自分の知っている人で、よく仕事を教わってる人だった。
世の中は狭い。
というより、型枠業界が狭いのかもしれない。
でも、その話を聞いた瞬間、なんとなくうれしかった。
昨日までただ「すごい建物」だったものに、急に人の顔が浮かんだ。
あの複雑な壁を、
実際に誰かが図面を見て、
寸法を出して、
加工して、
現場で組んだ。
もちろん〇〇さんが、一人で作ったわけではない。
たくさんの人が関わったのだと思う。
でも、その中に自分とつながっている人がいた。
それだけで、少し特別に見えた。
建物は残る。
作った人の名前は、たぶんどこにも書かれない。
「この壁の型枠を組んだ人」
という説明もない。
誰が苦労したのかも分からない。
でも仕事は残っている。
何年も経ってから、誰かがその場所を訪れる。
そしてもしかすると、自分みたいな人が建物を見て、
「これ作った人、すごいな」
と思う。
それで十分なのかもしれない。
美術館にある作品も、見る人が何かを感じる。
型枠の仕事も、同じなのかもしれない。
名前を知らなくても。
作った時の苦労を知らなくても。
完成したものを見て、
少し立ち止まる。
それはもう、十分作品なんじゃないかと思う。
美術館に行って、作品より建物を見てしまった。
娘からすれば、少し変な楽しみ方だったと思う。
でも、あの日はそれでよかった。
型枠も作品なんだと、思えたから。
そして、その作品を作った人が思っていたよりずっと近くにいた。
いつか自分も、
知らない人がどこかの建物で立ち止まって、
「これ、どうやって作ったんだ。凄いな。」
と思うような仕事を残せたらいいなと思った。
つよし