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エッセイ

書いてみて、初めて自分が分かった話

最近、ブログを書くことが趣味になりつつある。

といっても、最初からブログを書きたかったわけではない。

きっかけは、社長が会社のホームページを作ったことだった。

ホームページはできた。

見た目もちゃんとしている。

ただ、一つ問題があった。

ブログを更新する人がいなかった。

作ったはいいものの、誰も書かない。

このままだと、立派なホームページの中に、ずっと同じ記事だけが置かれることになる。

それはそれで少し寂しい。

自分も文章を書くことに少し興味があったので、

「じゃあ、自分がやってみようかな」

くらいの気持ちで始めた。

本当に、そのくらいだった。

文章を書く人になろうと思ったわけでもない。

誰かに何かを教えようと思ったわけでもない。

現場であったことを書いたり、子どものことを書いたり、妻との会話を書いたり。

その日に思ったことを、忘れないうちに残しておく。

最初は、ただ会社のホームページを更新するために書いていた。

でも、続けているうちに、少し不思議なことに気づいた。

ブログを書いていると、自分のことが分かる。

正確に言えば、

書く前には分かっていなかった自分の気持ちが、書き終わった頃に分かることがある。

これは少し変な話である。

自分の気持ちなのだから、自分が一番分かっているはずなのに。

全然そんなことはなかった。

例えば、仕事で嫌なことがあった日。

その時はただ、

「今日は疲れたな」

と思っている。

腹が立ったのか。

悔しかったのか。

悲しかったのか。

自分でもよく分からない。

とにかく疲れた。

それで終わる。

でも夜になって、ブログを書こうとする。

今日こういうことがあった。

あの人がこう言った。

自分はこう返した。

その時はこう思った。

一個ずつ思い出しながら書いていると、

「あ、自分は腹が立っていたんじゃなくて、悔しかったんだな」

と気づくことがある。

逆もある。

大変だった現場の話を書いていたはずなのに、最後まで書くと、

「自分、結構この仕事好きなんだな」

と思ったりする。

現場にいる時には、そんなことは考えていない。

暑い。

重い。

早く帰りたい。

だいたいこの三つである。

それなのに、家に帰って文章にすると少し違って見える。

今日、起きたこと。嬉しかったこと。嫌だったこと。

誰かに助けてもらったこと。

その場では通り過ぎていたものが、文章にすると急に残る。

たぶん自分は、毎日の出来事をちゃんと感じる前に、次へ進んでいたんだと思う。

朝起きる。

仕事に行く。

仕事が終わる。

家に帰る。

子どもと過ごす。

飯を食べる。

風呂に入る。

寝る。

そして、また朝になる。

毎日は思っているより速い。

何かを感じても、整理する前に次のことが始まる。

いちいち、

「ここで本日の自分の感情を整理します」

なんて時間はない。

そんなことをしていたら、たぶん子どもに何かを投げられる。

だから、うれしかったことも、腹が立ったことも、そのまま流してきた。

ブログを書く時間だけが、その流れていったものを拾い直す時間になった。

あの時、なぜあんなに腹が立ったんだろう。

なぜ、あの一言だけ覚えているんだろう。

なぜ、今さら昔のことを思い出したんだろう。

文章にしようとすると、理由を考える。

すると、今まで自分でも気づいていなかったものが出てくる。

自分は、思っていたより人に認めてもらいたいらしい。

思っていたより家族のことを気にしている。

思っていたより仕事に誇りを持っている。

そして思っていたより、昔のことを覚えている。

昨日の晩飯は忘れるのに、十年前に誰かに言われた一言は覚えていたりする。

人間の記憶の保存基準は、よく分からない。

でも、最近になって一つ思い出したことがある。

「内省」というものだ。

自分の考えや行動を振り返って、自分自身を見つめること。

自分で自分に手紙を書いたりもする。

実はこれ、子どもの頃によくやらされていた。

当時は、何とも思っていなかった。

言われたからやる。

書けと言われたから書く。

たぶん、それくらいだった。

真面目に自分と向き合っていたかと言われれば、かなり怪しい。

早く終わらせたかったと思う。

それっぽいことを書いておけばいい。

そんな感じだった。

正直、何のためにやっているのかもよく分かっていなかった。

それが今になって、

自分から同じようなことをやっている。

誰にも言われていない。

提出する相手もいない。

先生もいない。

それなのに夜になると、その日あったことを振り返って、

「あの時、自分は何を思っていたんだろう」

と考えている。

子どもの頃、あれだけ適当にやっていた内省を、

何十年か経って、今度は自分からやっている。

もしかすると、あの頃やらされていたことが、どこかに残っていたのかもしれない。

当時は何も感じていなかった。

役に立っているとも思わなかった。

でも、ずっと後になってから意味が分かることもある。

そう考えると、昔の出来事の見え方まで少し変わってくる。

嫌だったこと。

失敗したこと。

恥ずかしかったこと。

「あの時は最悪だった」

で終わっていた出来事を、今の自分が文章にする。

すると、

あれがあったから今こう考えているのかもしれない。

あの人に言われたことが、まだ自分の中に残っているんだな。

そんなことに気づく。

過去そのものは変わらない。

起きたことも変わらない。

でも、今の自分から見た意味は変わる。

これは、ブログを書き始めるまであまり考えたことがなかった。

最初は、会社のホームページを更新するためだった。

誰もブログを書く人がいないし、少しでも役に立つなら

「じゃあ自分がやってみよう」

と始めただけだった。

それが気づけば、自分の昔のことを思い出し、自分の気持ちを考え、自分でも知らなかった自分を見つける時間になっていた。

書いてみないと分からなかった。

自分が何を大事にしているのか。

何に腹が立つのか。

何がうれしいのか。

なぜ仕事を続けているのか。

家族のことをどう思っているのか。

頭の中にあるだけの時は、全部ぼんやりしていた。

文章にして外に出して、初めて形が見えた。

たぶん、自分を知るというのは、

「自分はこういう人間です」

と一言で説明できるようになることではない。

昨日はこう思った。

今日は少し違う。

昔は嫌いだったことが、今は大事になっている。

そういう自分の変化を、一つずつ見つけていくことなのだと思う。

ブログを書き始める前より、自分のことが分かるようになった。

でも同時に、前より分からなくなった気もする。

書けば書くほど、

「自分、こんなこと考えていたのか」

というものが出てくる。

まだ知らない自分が、結構いる。

それも悪くない。

これからも仕事をして、家に帰って、子どもと過ごす。

腹が立つ日もある。

うれしい日もある。

何も起きない日もある。

そして夜になったら、また少し書く。

あの日の自分が何を感じていたのか。

何を大切にしていたのか。

あとになって読み返して、

「ああ、この時はこんなことを考えていたのか」

と思う日が来るのだろう。

子どもの頃は、意味も分からずやらされていた内省。

気づけば今は、自分からやっている。

何も悪いことはしてないのに。

つよし

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