型枠の拾い出しは大変な話
図面を見ると、一本の線がある。
ただの線に見える。
細い。
まっすぐ。
何も言わない。
ものすごく涼しい顔をしている。
「自分、ただの線ですけど」
みたいな顔をしている。
いや、分かっている。
見た目はたしかに線である。
でも、型枠大工から見ると、その一本の線はただの線ではない。
かなり面倒くさい線である。
できれば近づきたくない線である。
見た目は細いのに、中身が太い。
情報量が多い。
図面の一本の線には、いろんなものが隠れている。
高さはいくつなのか。
どこで止まるのか。
どこで折れるのか。
開口はあるのか。
段差はあるのか。
欠き込みはあるのか。
加工場でどう作るのか。
現場でどう組むのか。
コンクリートを打ったあと、どう解体するのか。
材料を無駄にしない形になっているのか。
一本の線にしては、情報量が多すぎる。
図面の線は、表では静かである。
でも裏側では、
「ここ、ちゃんと考えないと現場で詰まりますよ」
「このままだと加工場で嫌な顔されますよ」
「解体の時に無言になりますよ」
「材料、まあまあ無駄になりますよ」
という情報を抱えている。
言え。
先に言え。
黙っていないで、図面の方からちゃんと言ってほしい。
「ここ注意」
「ここ危険」
そのくらい書いていてほしい。
でも図面は書いてくれない。
図面は基本的に無口である。
線と数字だけが書いてある。
ここでいう拾い出しは、材料を何枚使うかを数える話ではない。
型枠の形を図面から読み取って、加工場で作れる形に起こす作業である。
職人が加工しやすいように考える。
現場で組みやすいように考える。
最後に解体屋さんがバラしやすいようにも考える。
さらに、材料を無駄にしないようにも考える。
やることが多い。
考えることが多すぎて、途中で図面に話しかけたくなる。
「お前、どうしたい?」
もちろん返事はない。
図面は黙っているので、こちらが考えるしかない。
一本の線を木材で形にする。
最近は、材料を無駄にしない使い方を考えるのも、仕事のうちだと思っている。
昔は、正直そこまで深く考えていなかったかもしれない。
形が合えばいい。
現場で組めればいい。
そう思っていた部分もある。
でも今は材料も高い。
ベニヤ一枚でも、桟木一本でも、無駄にすればちゃんとコストで返ってくる
だから加工帳を書く時も、材料の取り方を考える。
この形で取れば早い。
このまま書けば楽だ。
多少材料は無駄になるけど、加工は簡単になる。
そういう悪い考えが、頭の中を一瞬よぎることがある。
本当に一瞬である。
たぶん。
そして、その悪い自分に少し負けそうになった時、親父(社長)の顔が浮かぶ。
材料を無駄にする形で加工帳を書こうとした瞬間、なぜか親父の顔が出てくる。
別に後ろに立っているわけではない。
カメラで見られているわけでもない。
図面の中に小さく印刷されているわけでもない。
でも、頭の中にはいる。
かなり鮮明にいる。
しかも無言である。
この無言が一番怖い。
ただ見る。
静かに見る。
そして、その顔が言っている。
「それ、本当にその取り方でいいのか」
怖い。
かなり怖い。
図面より怖い。
図面は黙っているだけだが、親父の顔は黙っているのにしゃべっている。
高等技術である。
その瞬間、思いとどまる。
もう一回図面を見る。
もう一回取り方を考える。
少し面倒でも、材料が無駄になりにくい形を探す。
加工しやすさだけで逃げない。
現場のことも、材料のことも、コストのことも考える。
材料は勝手に湧いてこない。
ベニヤも桟木も、畑から生えてくるわけではない。
朝になったら現場の隅に自然発生しているわけでもない。
それを忘れて、楽な加工帳を書こうとすると、頭の中の親父がまた静かにこちらを見る。
やめてほしい。
図面から型枠を拾っている時、身体はあまり動いていない。
椅子に座っている。
パソコンを見ている。
ペンを持っている。
外から見ると、あまり働いていないように見えるかもしれない。
でも頭の中では、かなり働いている。
もう加工してる
もう現場で型枠を組んでいる
もうコンクリートを打っている。
もう解体している。
まだ図面の前にいるのに、頭の中では工程が進みすぎている。
気が早いにもほどがある。
でも、そこまで考えないと見えないことがある。
図面では簡単そうな形でも、現場では全然簡単ではないことがある。
一枚で作ればきれいに見える。
でも実際には重すぎる。
大きすぎる。
持ちにくい。
入らない
逆に細かく分ければ扱いやすいかもしれない。
でも今度は加工の手間が増える。
組む時に合わせる場所も増える。
隙間も気になる。
解体の時には楽かもしれないが、材料の取り方が悪くなることもある。
どれか一つだけを見れば簡単である。
作りやすさだけ。
組みやすさだけ。
解体しやすさだけ。
材料の無駄だけ。
一個だけなら、まだ考えやすい。
でも実際は、全部が同時に来る。
本当に難しい。
拾い出しに絶対の正解はない。
同じ図面を見ても、人によって形の起こし方が変わる。
ここで分ける人もいれば、一枚で作る人もいる。
ここは現場合わせにする人もいる。
どれがいいかは、現場によって変わる。
職人によっても変わる。
解体のことまで考えると、また変わる。
つまり、拾い出しはただの作業ではない。
判断の連続である。
しかも、あとから答え合わせが来るタイプの判断である。
型枠大工は、現場で身体を使う仕事だと思われがちである。
もちろん、それは間違いない。
暑い中で材料を持つ。
型枠を組む。
締める。
通りを見る。
身体はかなり使う。
でも、その前に頭も使っている。
図面の一本の線を見て、その裏にある情報を読み取る。
その線が、現場でどう形になるのかを考える。
その形が、誰かを困らせないかを考える。
それが拾い出しだと思う。
一本の線は簡単そうに見える。
でも頭の中では、ずっと現場が動いている。
図面一枚で、何回も現場を往復している。
そりゃ疲れる。
ただ、うまく拾えた時は気持ちいい。
でも、何も起きない。
それが一番いい。
良い拾い出しは、目立たない。
問題が起きないからである。
拾い出しをやるようになってから、現場で型枠を見る目も少し変わった。
きれいに納まっている型枠を見ると、組んだ人だけではなく、その前の仕事まで想像する。
ここは考えたんだろうな。
ここは加工しやすくしたんだろうな。
ここは現場で楽になるようにしたんだろうな。
逆に、ものすごく組みにくい型枠を見ると、
「拾った人、現場来てほしいな」
と思うこともある。
怒りたいわけではない。
一回だけ一緒に組みたい。
たぶん次から変わる。
型枠の拾い出しは地味な仕事だ。
現場で型枠が立った時ほど分かりやすくはない。
でも、その前に誰かが線の裏側を読んでいる。
一本の線の中にある複雑な情報を読み取って、仕事できる形に変えている。
加工を考える。
現場を考える。
解体を考える。
材料を考える。
そして最後に、親父の顔色を考える。
図面には載っていない。
でも、材料を無駄にしようとした時だけは、線や数字よりはっきり浮かんでくる。
つよし